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オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)


 『オンリー・イエスタデイ』と『キマイラの新しい城』が届いた。
 前者は、1920年代アメリカを舞台にした小説を書こうとしているので、その資料として手元に置いておこうと考えて購入した。
 一方で、書き出してみれば意外に困ることはない。今まで読んだアメリカ小説、今まで見たアメリカ映画の記憶が脳裡に浮かぶので、するすると場面を書き連ねていくことができている。とはいっても絵的なイメージに比して、言葉についての知識、つまりは固有名詞が不足してはいるので書きあぐねるところもなくはない。それでも今のところは特に知識を補給することなく書き続けている。むしろ絵的なイメージを素直に書き連ねている分、いつもより可読性は高いかもしれない(もちろんそんなもので自分が満足するわけはなく、これから固有名詞の量が増えていくのだろうが)。

 その一環としてトマス・ピンチョンの『逆光』を読んだり、ニール・ゲイマンの『アメリカン・ゴッズ』を読んだり、アメコミを読んだり、あるいはジョジョの奇妙な冒険を、特にアメリカを舞台にした7部を読み返したりしている。また、当時の映画産業や、映画監督についての本も読んだりしているところからも、それなりに自分が好きなものをある程度全部ぶち込もうという魂胆でやっているようだ。

 いつの間にか、アメリカ的なものへの愛着が人一倍強くなってしまった。その理由の殆どは、映画を沢山見る習慣がついたせいなのだが、そうなると今度は小説に目が向き始める。すると、翻訳物はまあいいとして、日本人の書いた小説にアメリカ的なものを感じることはあまりないことに気がつく。もちろん、日本人の書く小説にアメリカ的なものを感じる機会が少ないというのは当然と言えば当然なのだが、なんとなしにヨーロッパ的なものを感じるものは結構あるという印象のせいでちょっと飢餓感に苛まれるところだ。まあジャンルをホラーだとかノワールだとかに限れば、アメリカ的なものが反映された小説はあるものの、もっとアメリカ文化の根っこのところを感じさせられる機会はあまりない。
 そもそもアメリカを舞台にしたものが少ないんだろう。
 それを言ってしまえば、海外を舞台にした小説というものが圧倒的少数派なのだ。

 そういうこともあって、1920年代アメリカを舞台にした伝奇小説のようなものを書き始めている。この時代は色々と面白い素材に満ちているので、取りあえず舞台設定に間違いはないだろうと思う。出来上がったものが面白くなかったとしたら、それは自分の技量のせいだ。『ジャバウォッキー』という偉大な先例があるものの、あれは作者にとっても「何か大いなる存在に導かれて書いた」とかなんとかという代物らしいので、あの作品の呪縛に囚われないようにしたい。ま、伝奇と言っても能力バトルを混ぜる(今回はかなり俗っぽく仕上げたいので)ので、少し『ジャバウォッキー』のラインからはズラせるとは思うけどさ。

 最近はヘルツォーク版の『吸血鬼ノスフェラトゥ』を翻案した吸血鬼ものや、薄汚い街をを舞台にしたノワールっぽい雰囲気のサイバーパンクSFを書いたりしてジャンル映画めいているので、いっそのことジャンル映画の集大成的なものを書ければいいな。