ニール・ブロムカンプ『エリジウム』(2013)


 かなりビミョーではないか。

 現代社会の抱える社会問題を構図だけ切り出して今の観客の興味を引きつつ、最終的には古典的なハリウッド映画の紋切型へと収束していくのは前作『第九地区』と同じ。とはいえ、『第九地区』は、小市民でしかない主人公が圧倒的な孤立の中で逃げ回る無力感であるとか、結局のところ悪党になり切れずにエイリアンを庇い立てしてしまう、というサム・ペキンパーワイルドバンチ』的な悲哀をアクションに乗せるなど、その現代的な意匠の中で可能な紋切型を選択していたというクレバーさがあった。エイリアンの重要人物が出てくるあたりから、ドキュメンタリー形式→普通の劇映画という転換も見せて最後のエモーションあるクライマックスまで上手く接続していたと思う。
 しかし今回はそこの接続なり、現代的な意匠と古典的な紋切型の組み合わせなりにだいぶ無理があるように感じられた。

 まず、主人公マット・デイモンと悪役シャールト・コプリーの造形についてだが。デイモンの方は、作業中の事故で余命5日の身体となり、仕方がなくアームスーツを纏ってエリジウムに殴り込みにいくという巻き込まれ型。なるほど、やっぱりそういう方向で行くのね、と思いながら前半が過ぎていく。続いて、コプリーの方は過去の犯罪歴などに問題のある傭兵、時にお上の鶴の一声で予告なしの解雇を受けてしまうような立場の弱い現場監督官といった風情だ。なるほどやっぱり、せいぜいが現場監督レベルの人物同士による諍いなのねと思うのだが、しかし防衛長官役のジョディ・フォスターがクーデターを考えているらしいことが早い段階から明かされる。ここで少し嫌な予感がする。

 そう、『第九地区』のような現場の凌ぎ合いになるかと思いきや、かなり素朴な革命譚に収斂してしまうのである。ここの説得力はかなり薄いと言わざるを得ない。エリジウムのセキュリティ態勢はもうザルもザル。宇宙船の不法侵入を易々としかも次々と許すわ、重要なはずの警備担当者の待遇がかなり悪そうだわ(一応会議シーンでは地上の人間を雇うことへの疑義は差し挟まれている)、警備ロボットはスターウォーズのドロイド兵に毛が生えたような強さだわ、たった一人の人間の持つデータから簡単にセキュリティシステムを掌握されてしまうわ、おまけにそのプログラミング画面もだいぶお粗末だわ、等々と数えるとキリがない。素朴な革命譚のために、監督本人が拘っているはずのエリジウムのディティールが話の筋の都合に捻じ曲げられていくのはちょっと興ざめだ。小市民でしかない二人の対決ということであれば、『キャプテン・フィリップス』を見た後だと、かなりお粗末に見えてしまう。

 ならば単純な活劇として面白ければいいじゃないかという人もいるだろう。
 だが正直、真正面からの活劇でブロムガンプがそんなに突出しているとは思えなかった。例えば、エリジウムに着いたあと場面で、幼馴染やその娘等が閉じ込められるのであれば、デイモン側と幼馴染側それぞれの状況を作りつつ上手く噛み合わせてクロスカッティングで観客をハラハラさせたり、またはあのスライドする扉で仕切られた空間を上手く使ったアクションを組み立てたりといった古典的なテクニックがあるはずなんだけど、そういう工夫は特にない。エリジウムへ向かう途中の宇宙船で、重力の方向が変わることを活かしたアクションなんかがあって良さそうなのにそれも特にない(それどころか船体が傾いているはずなのに幼馴染の髪が横になびかない)。人体を爆発させるのはまあ魅力の一つなんだけど、それは『第九地区』で既に見たし、あちらの方がもっと大掛かりだったなあと。あと、単純な革命譚の活劇だとすれば、109分の上映時間はちょっと掛け過ぎだろう。他の良く出来た活劇映画と比べてしまうと、時間当たりの満足感はかなり薄い。ここでは、現代的な説得力を持たすための序盤の手続きが多さが足を引っ張っている。

 しかも、泣きどころは最後デイモンが自らの命を差し出して幼馴染の娘を救い、ひいてはエリジウムに虐げられていた貧者を救うところにあるのだが、ここが『第九地区』と比べるとかなり言語的になっていて弱い。『第九地区』だと主人公が非情になり切れず自分の得にならない行動をしてしまうというところが泣きどころだったので、いわば終盤のアクションシーンがすべてにエモーションが乗っていたわけだ。が、今回はあくまでデイモンが自らの命を差し出すという、ノーモーションの出来事にエモーションを乗せようとしているので、映画の泣きどころとしてかなり弱いと思う。なので当然、敵役との対決が橋の上で行われようが、さっぱり盛り上がらない。ペンダントの使い方もあまりに古典的だし、かといって古典的な花道の作り方もなっていない。花弁が舞っている一本道がSF映画に出てきたのは初めて見たものの勘違い日本的なビジュアルの魅力以上のものは特にない。映画で花道を作るのであれば、イーストウッドガントレット』やマキノ『すっ飛び駕』のように、主人公が歩き始めるとモーセが海を割ったかのように人の群れが割れ、その間を主人公が通っていくという方法が採られるべきだろう。これは、道が動きの中で作られることもあってかなり胸にくる。

 あと、細部に目をむければ、異物の挿入というモチーフにブロムガンプは拘りがあるように思えるんだけど、正直今回はここのフェチ感が薄いんだよな〜。なるほど。『第九地区』で見せた『ザ・フライ』的な変身の様子はまあ結構満足した。そして今回は、アームスーツが身体の神経系に埋め込まれる手術シーンがある。ここが素早いカッティングで足早に過ぎる、というのはデイモンが全身麻酔状態にあるから仕方ないことなのかもしれないけど、うーん満足出来ない。本当にこだわっているのかブロムガンプは。挿入ということであればクローネンバーグの『イグジステンズ』や『クラッシュ』なんかと張り合って欲しいのだが。

 冒頭の監察官ロボの完全に人を馬鹿にしたビジュアルとか、統計を駆使した人間の行動予測で住民を管理しているあたりのギミックに萌えた分、尻下がりに落ちていったビミョーさがあるなあ。まあ、一緒に見たSF研の人間の反応もそんな感じでした。