ハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』(1953)

 ただひたすらダイヤモンドとお金持ちが好きなマリリン・モンローハワード・ホークス流に狂っている。

 本作のマリリン・モンローは本当にダイヤモンドとお金持ちが好きなので、他人の奥さんのものだと知っていてもダイヤのティアラを欲しがるし、あろうことかその奥さんの夫をたぶらかして殆ど盗難同然で持ち帰ってしまう。もちろん、それを指摘されても全然悪びれないし、その夫との浮気(っぽいやりとり)を自分の婚約者に報告されても、むしろ浮気調査をやった婚約者に対して「なんで私を信じてくれないの?」と詰め寄る始末。
 すなわち、「ダイヤモンドとお金持ちが好き」というキャラクターにとことん忠実なので、善悪も気にしないし、犯罪だろうがなんだろうが関係ないという狂人に仕上がっているのだ。
 そういう訳だから、お話は社会的なしがらみを越えてポンポン弾けて止まらない。「痛快!」というわけである。彼女を咎めたり、善悪に多少悩んでみせるのは周囲に配置されたジェーン・ラッセルやエリオット・リードの役目になっているけども、この二人も決める時は早い。

 こういう狂人が一人でもいてくれると、理屈よりも唐突な運動が優先されて画面は予測しにくくなり、面白い、というわけである。
 
 ラブコメ的なシチュエーションを成立させるのが第一目的で、筋立て上の目的はきっかけに過ぎないという思考方法は随所に見られていて、例えばマリリン・モンローがチャールズ・コバーンと抱き合っているところを写真に撮られるのも、それを取り返そうとする過程でモンローが丸窓に挟まってしまったり、エリオット・リードをべろべろに酔わせて上着やらズボンやらを脱がせてしまったりする場面のためなのだろう。そもそも、モンローの浮気調査を命じられたエリオット・リードに投げかけられた「黒髪はどうでもいい、金髪を見張れ」(うろ覚え)という言葉も、ラブコメ的な解釈から言えば、「黒髪とくっつけ」という言葉に翻訳可能だし、実際、エリオット・リードは黒髪のジェーン・ラッセルとくっつくことになる。

 恥ずかしながら、クライマックスでモンローを庇うためにモンローに変装して裁判所に出廷し、そこでミュージカルダンスを披露するジェーン・ラッセルについては、言われるまでジェーン・ラッセルだと気がつかなかった。視覚とは曖昧なものであるという教訓ですね()

 そういえば、最後の合同結婚式のシーンでは、マリリン・モンローとジェーン・ラッセルが共に花嫁衣裳で横並びになるんだよね。本作では女の友情が一番クローズアップされているところもあって、百合っぽい絵面にしか見えなかった。良いものですね同性婚


 以下余談。

 最近、SFとホラーのジャンル映画ばっかり見ていて気が狂いそうになったので、ついdビデオで配信されていた本作を観てしまった。スマホハワード・ホークスを見る時代、スマホマリリン・モンローを見る時代。泣きたくなるほど幸せな気分になって、ああホークスは麻薬だ、最高だと感慨深くなっていつの間にか日記を書いていた。
 先輩に「人生最後の時には『お熱いのがお好き』を見ていたい」と言った人がいたのだが、モンロー主演のミュージカルコメディには、そういう発言を許してしまうような何かがあるのかもしれない。