マイケル・マン『レッド・ドラゴン』/マイケル・マンの基本形
恐らく『ヒート』で知られているであろうマイケル・マンは、最も好きな映画監督なので、一度書いてみたいとは思っていた。とはいえ、好きであるからこそ、自分はマイケル・マンについて書き飛ばしがちであり、出来ればマイケル・マンを語るにあたって、せめて主題上の基本パーツくらいはなにか一つの記事にまとめて揃えておきたい。
……そういう風に思っていたところ、そういえば『レッド・ドラゴン』はマイケル・マンの基本要素――少なくとも『コラテラル』や『ヒート』といった完成度の高い有名作では繰り返されることになる基本要素が揃っているので、これの簡単な解説記事を書けばいろいろと便利なのではないか。そういうことを思ってこの記事を書くことにした。
なので、今回は『レッド・ドラゴン』の作品評価や、細部の検討ということはあまり主眼に置かず、マイケル・マンという作家を理解するための布石として『レッド・ドラゴン』を分析してみたい。
以下、『レッド・ドラゴン』、『ヒート』、『コラテラル』、『パブリック・エネミーズ』(すべてマイケル・マンの映画)、『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(これはサム・ペキンパー)の内容についての記述を含みます。マイケル・マンは特にネタバレが致命的になるタイプの作り手ではないと思いますが、ネタバレを避けたい人は読まないように。
■追う者と追われる者の対決
マイケル・マンの主題上の特徴と言われて、『ヒート』や『コラテラル』を見たことがある人ならすぐに、「追う者と追われる者の同質性」が挙げられるだろう。
『レッド・ドラゴン』においても、とある猟奇的な連続殺人事件を背景に、追う者=刑事(ウィリアム・L・ピーターセン)と、追われる者=犯人(トム・ヌーナン)という構図があり、最後までその二人の同質性が指摘され続ける。
たとえば、ウィリアム・L・ピーターセン演じる敏腕刑事は、猟奇的な犯罪者を捕まえるために何をするのかと言えば、その犯罪者を理解し、犯罪者が実際に目にしたものを自分も目にすることで、犯罪者と同質化していく作業に他ならないというわけである。
とりわけ、犯人が見た光景と同じ光景を共有するというのは、「視覚」が重要になってくる映画ならではの主題ということだろう。本作に限らず、マイケル・マンは基本的に視線劇を展開するところがある。
そうやって同質化していった二人がいよいよもって相対する瞬間というのが、『ヒート』や『コラテラル』のようなマイケル・マンの映画に共通するカタルシスである。
こういった鏡像の主題は映画史上ではとりわけ珍しいものではなく、たとえば鏡がよく使われるフィルム・ノワールではよく使われてきたものだと思われる(無学から、あまり通史的、網羅的な知識は備えていないが)。またフィルム・ノワールに限らずとも、たとえばサム・ペキンパーの西部劇『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』などでも同じような主題が採用されている。
と、つい出してしまったペキンパーの『ビリー・ザ・キッド』だが、これを多分マイケル・マンは見ていると思う。この映画もまた追う者=バット・ギャレットと、追われる者=ビリー・ザ・キッドという二人の男の奇妙な関係性を描いた映画であるし。さらに言えば、サム・ペキンパーの特徴的なスタイルであるスローモーションによる暴力表現に極めてよく似たスローモーションを、マンは『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』のクライマックスで用いているからだ。
とまあ、実際にマンがペキンパーに影響されているかどうかは分からないし、これだけじゃ弱いとも思うが、仮に影響されていたとして、マイケル・マンはここにかなりの修正を加えていることが分かる。
というのも、『ビリー・ザ・キッド』と『レッド・ドラゴン』を比較したところで、明らかに重要な小道具が変更されていることが分かるからだ。
■大きな窓ガラス
『ビリー・ザ・キッド』において、ラストシーンでとうとうキッドを撃ち殺してしまったギャレットは、そのあとすぐに思わず鏡に映った自分めがけて発砲してしまうのである。すると当然、鏡は砕け、ギャレットはキッドを撃ち殺したことによって、また自分自身をも撃ち殺してしまったことが分かるのだ。
ただ、これはとても使い古された表現なので、人によるとあざといと感じてしまうかもしれないし、そもそも相手を撃つのと、鏡を撃つのとでは二度手間である。やはり、主題を徹底させるためには、相手と自分とを同時に撃っているという、視覚的な納得性がいるのじゃないだろうか。
その点、『レッド・ドラゴン』は狡猾である。
『レッド・ドラゴン』のクライマックスで、刑事と犯人はとうとう互いを目にするわけだが、これを介在するのが大きな窓ガラスなのだ。
そう、マイケル・マン映画の至るところで出てくるあの大きな窓ガラスである。このシーンにおいて、窓ガラスは事実上、鏡として機能しているのだ。刑事は窓ガラス越しに犯人を見て、犯人のほうでは窓ガラス越しに刑事を見ている。しかし、少なくとも映画の主題上は、二人は鏡像を見ているということになる。視覚的にもそう見える。なるほど、これは確かに『ビリー・ザ・キッド』よりも数段スマートに鏡像という主題を扱っているようだ。
(だからといって、『レッド・ドラゴン』の方が『ビリー・ザ・キッド』より優れていると述べているわけではない。それを判断するためにはもっと総合的に作品を眺める必要があるだろう)
■鏡像
このように『レッド・ドラゴン』においては、マイケル・マンの基本的な主題である、「鏡像」がはっきりと現れていることが確認できた。
この「鏡像」は他の映画でも確認できる。それぞれに微妙に違っていて面白い。
たとえば、『コラテラル』のクライマックスにおいて、車両の接続部越しに撃ち合うジェイミー・フォックスとトム・クルーズは、この瞬間において「鏡像」になっている。鏡の役割を果たしているのは、接続部のドアの窓ガラス部分だろうか。本作は、トム・クルーズに対して最初は支配されっぱなしだったジェイミー・フォックスがじょじょにその関係を転倒させ、とうとう「鏡像」になれるほど彼と対等になり、あろうことか打ち倒せるようになるまでを描いた映画とも言える。すでにスター俳優だったトム・クルーズと、まだ賞レースとも無縁だったジェイミー・フォックスという配役も、作中の位置づけと類似しているし、面白いことにジェイミー・フォックスは同年に出た『Ray/レイ』という映画で様々な賞を獲って一気に有名になるのである。途中、ジェイミー・フォックスがトム・クルーズの暗殺者の振りをするシーンの存在も、同質化の主題的に『レッド・ドラゴン』と類似している。
たとえば、『ヒート』でW主演のアル・パチーノとロバート・デ・ニーロが、「明らかにそれと分かる形で同一カットに納まることがない」という「伝説」はよく知られているが、その理由はもちろん二人が不仲であったということではなく、二人が『ヒート』という作品において「鏡像」として配置されているからである。ここにおける鏡とは、カットとカットの間という不可視の領域だろうか。実際、そういう「鏡像」的なカットつながりを意識させるようなシーンはかなり多い。『コラテラル』と違い、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロという役者はともに押しも押されぬスター俳優であり、だからこそ『ヒート』という映画で両者は最初から対等に、緊張感を持って画面内にて扱われているのだろうと推測できる。
たとえば、『パブリック・エネミーズ』においては、牢に入れられたジョン・デリンジャー(ジョニー・デップ)に、FBI捜査官のメルヴィン・パーヴィス(クリスチャン・ベール)が話しかける場面があるが、ここでは牢の鉄柵越しに両者が鏡像的に配置されていることが分かる。さらに面白いことに、ここでは牢の中よりも外の方が狭く、暗く見えるように撮られている(この指摘は、知人が気づいて教えてくれたことだ)。どういうことだろうと思い、他の牢の鉄柵越しの対面シーンを見ると、まったく逆のライティング(牢の外が明るくて広い)がなされているのだ。つまり、ここではデリンジャーとパーヴィスは鏡像的に配置されているが、牢の外にいるはずのパーヴィスのほうがむしろその不自由さを強調させられているのである。そして映画の後半では、本作は確かにそのシーンで示唆された通りの展開をなぞっていき、パーヴィスは宿敵デリンジャーにトドメをさせず、他の捜査官に手柄を取られ、のちに自殺したことがテロップで知らされる。代わりに、映画の終盤からむくむくと存在感を発揮し始め、終盤の見せ場をすべて奪ってしまうのはあの『アバター』で印象的な悪役を演じたスティーブン・ラングである。すごい顔をしている。そして、本作では最もマイケル・マン的なプロフェッショナルを体現している。これは、チャンベールみたいに線の細い優等生顔では勝てないはずであると納得させられるのである。
……という具合に「鏡像」テーマはいたるところで顔を出すわけだが、そもそもマイケル・マンは絵づくりの上でもコントラストの強い構図を好むところがあって、そのあたりも含めてスタイルからなにから徹底された作業なのだなと思うところであった。
■まとめ
というわけで『レッド・ドラゴン』を端緒にしてマイケル・マン映画の最も典型的な主題についてざっと概観してみたが、もちろんマン映画はこれだけではないし、他にもまだまだ語り足りないところではあるので、これからまた各作品について細かい記事を書ければいいなと思っている。
こうして見ると、一つの主題に絞ると記事としてはまとまるけど、やはり「マイケル・マンの基本形」と言うには取りこぼしが多くなってしまうなと思った。
そうこうしている内に新作が公開されるらしいという話も入って来ており、主演はあのクリス・ヘムズワースだとか(『マイティ・ソー』のソー役や、『ラッシュ/プライドと友情』のハント役で見かけた俳優である。へらへらしている割に内面がいまいち見えなくて怖い感じの人で、確かにマン映画に似合いそう)。予告編だと、『パブリック・エネミーズ』よりもさらにデジタル撮影の生っぽさがはっきり出た映像になっているように見えて(と書いた途端に気のせいであるような気がしてきた)、これは果たして映画館で見たらどのように映るのか今から気になるのだった。
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