最近見た映画(ウェス・クレイヴン『壁の中に誰かがいる』、清水崇『ラビット・ホラー』)
・ここ最近、メルヘンに近い構造を持つホラー映画を立て続けに二本見た。
・まず、ウェス・クレイヴン『壁の中に誰かがいる』。
・撮影・照明であるとか、活劇としてどう、とかいう感想は今回は脇に置いておきたい。
・町に圧制を敷いていて、その根城にたんまりと財宝をため込んでいる悪い王を打倒し、囚われているお姫様と犠牲者たちを救い出す童話的な物語構造を使いつつ、その「悪い王」を「高い家賃で居住者を苦しめる大家」であり「その豪邸に攫ってきた多くの人間を監禁する異常な一族の末裔である殺人鬼夫婦(兄妹)」でもあるサイコな二人組に設定することで、現代アメリカにメルヘンを打ち立てた作品である。
・使われているモチーフはやや手垢についているきらいもあるが、ホラージャンルのお約束を拡大して、そこに一つの自足した箱庭を作ってしまったところは面白い。やけに手際がいいサイコパス殺人鬼とは異なり、本作に出てくる殺人鬼夫婦(兄妹)は狂っているので微妙に合理的な思考ができず、ややマヌケであり、どこか愛嬌さえ感じさせる。サイコな二人組の支配が完全ではなく、壁の中を動き回って彼らから逃げおおせるローチなる人物がいたり、子供部屋に1人監禁され別待遇を受けつつも、歪んだ愛情に支配されて完全に自分の意思を殺してしまったアリスなる少女がいたりする。殺人鬼夫婦(兄妹)の根城は、管理されきっていない一つの迷宮である。
・そして、その悪の根城に侵入するのは、その大家に賃料の支払いが3日遅れて、住んでいる家が取り壊されようとしている家族の末っ子。フールとあだ名される黒人の子供ということになる。悪い兄貴分にそそのかされて悪の根城に金貨を盗みにいくが、早い段階で一人になり、家族を助け、囚われのお姫様であるアリスを助けるために、孤軍奮闘することとなる。
・小さな子供であるフールが主人公になる理由は即物的にシンプルで、彼が大人には入れない狭い壁の中を移動できるからである。
・後で紹介する清水崇『ラビット・ホラー』との比較で重要なのは、本作の物語が持つメッセージだろう。「悪い為政者を倒して自由を勝ち取る」という革命譚的なメッセージと「親から自立する」という精神分析(?)的なメッセージが混交してある。この作品で用意された迷宮は、フールの願望充足やアリスの成長のために用意されており、もちろんラストでは破壊されることになる。
・革命譚と親からの自立が混交されていることで、終盤で求心力が落ちてしまうような感触があった。早い段階でフールとアリスが成長してしまうことがアレなのかもしれない。なんというかお姫様を助けたあと、てんやわんやと殺人鬼夫婦といろいろやり合うのがかったるいのである。
・天井を貫いて落下してきたアリスが、殺人鬼夫婦の妻(妹)に襲い掛かり、頭をつかんで何度も床にたたきつけるシーンの衝撃が忘れられない。
・『スクリーム』、『スクリーム2』を見て苦手意識のあったウェス・クレイヴンに興味が湧いた作品であった。代表作として有名な『エルム街の悪夢』も、夢が重要なモチーフなだけあって、メルヘン的な作品なのではないかと期待している。
・次に、清水崇『ラビット・ホラー』。
・恐くないウェス・クレイヴンに対して、こちらは『呪怨』の監督だけあって、普通に怖い。
・絵本作家の父を持ち、異母姉弟である弟の大悟の面倒を亡き母に代わって看ている、言葉を喋れなくなった姉を満島ひかりが演じている。ちなみに、絵本作家の父を演じているのは香川照之。
・冒頭でその弟が、死に欠けているウサギをコンクリート片で叩き殺し、その血を兄妹ともども浴びるというショッキングなシーンにはじまり、序盤で基本情報を的確に提示していくショットの連なりが心地いい。かなり巧いと思う。映像で示した情報を無粋にも反復する満島ひかりのナレーションも、「言葉を喋れない」という設定と関わりあってなかなか面白い仕掛けになっている。
・ウサギ殺しに始まり、ウサギのぬいぐるみがあの世へのルートを開くキーアイテムになっていたり、恐怖の対象となるのがウサギの被り物だったりと、ウサギ尽くしである。
・遊園地と病院が出てくるが、ホラー寄りのメルヘンにとって、この二つはなくてはならないアイテムなんだろうか。サイレントヒルを連想する。
・本作は3D映画らしいが、ここであの飛び出す3Dの仕掛けが、落下する際の浮遊感として変奏されているところに感心した。劇中劇の3Dホラー映画からウサギのぬいぐるみが飛び出てきて、それを弟が手にしてしまうことから悪夢の迷宮がはじまり、最後にきちんと満島ひかりがらせん階段の吹き抜けをゆっくり浮遊しながら落ちていくシーンに終わるところからも、明らか『不思議の国のアリス』が引用されているのだが、3Dが物語のモチーフとしても使われているところに完成度の高さを感じる。
・CGも意識的に使われていて、しかも気持ち悪いので、新技術に対して清水崇は肯定的であるように見える。そもそもホラーはデジタル撮影とかCGとかを、新しい表現につなげようとする意欲が高い分野である気もするが。
・中盤でどんでん返しがあり、作品構造がガラリと変わるのだが、そこでのビックリを作品の核に置くわけではなく、むしろ構造転換によって何かを語ろうとする感触である。『不思議の国のアリス』と『人魚姫』が引用されていること以上に、この構造や構図をパワーにして、繰り返しの中から何かを語ろうとする感じにメルヘン的なものを覚える。
・トラウマものとして見ると退屈だが、トラウマが中盤で明かされていることを考えると、トラウマが生み出した二つの異なる世界のメビウスの輪的な循環構造に囚われる話のように思える。ちょっと『ピングドラム』とか、そういう系統に近い物語類型なのかも。
・どうでもいいけど、音楽が川井憲次で、撮影監督がクリストファー・ドイル、となんだか豪華。
・ウェス・クレイヴン『壁の中に誰かがいる』では、悪夢の迷宮は物理的に存在しており、その迷宮は主人公たちにとっては乗り越えるべき壁なのであるが、一方で清水崇『ラビット・ホラー』においては、悪夢の迷宮は時間や空間がねじれて生まれてしまった主人公の妄想的な存在であり、その迷宮は乗り越えるべきものというよりかは、そこに囚われることを主人公が望んでしまっているような代物なのである。
・とりあえずこうやって書き出してみたけど、ジャンルのお約束からの発展のさせ方は『壁の中に誰かがいる』が好みだけど、物語構造として自分として興味があるのはやっぱり『ラビット・ホラー』の方だなあと思いました。