ポール・バーホーベン『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』
グレート・ウォリアーズ/欲望の剣
Flesh + Blood
1985年 アメリカ・オランダ・スペイン 128分
監督:ポール・バーホーベン
卑しい顔をした聖職者が聖餅を配っているすぐ横では腹の出た女が酒をふるまっている戦場の混沌で、街を奪われた領主アーノルフィニは「なにをやってもいい」と傭兵どもを煽ることで、残虐の限りを尽くして街を取り返すことに成功する。ところが、取り返したはいいものの財宝は奪うわ女は犯すわとやりたい放題の傭兵どもの蛮行が街を覆いつくしており、見かねた領主は、誤って修道女の頭をかち割ってしまったことを悔やむ傭兵部隊の隊長ホークウッドを焚き付け味方にひきこみ、傭兵どもを制圧、武器と財宝を押収することに成功する。領主の息子スティーヴンは科学者を志す真面目な好青年で、会ったこともないお姫様と結婚させようとする父アーノルフィニに「修道女だから処女だぞ」と言われても興味を持たないでいる。当のお姫様アグネスは未経験の性への興味関心から、侍女に原っぱで兵士と寝るように命令し、その様子を見物している。傭兵ども、もとい無法者どもは野外で雨風もしのげず酒売り女の赤子は死産となり、それを埋葬するところから出てきた聖人の像をかかげ、胡散臭い啓示とともに復讐を誓うのだった。アーノルフィニの計略でスティーヴンとアグネスは出会い、木に吊られて腐れて熟れた二つの死体の足下から掘り出されたマンドラゴラを二人で食べて恋に落ちるのだが、その帰りに王一行ともども清教徒のふりをした無法者どもの襲撃を受け、アグネスは攫われてしまう。無法者どもに輪姦されそうになるアグネスは、犯そうとする男の尻を焼き、処女ながら好色にふるまうことで無法者どもの仲間入りを果たしていく。重傷を負ったアーノルフィニの代わりにアグネス奪還をもくろむ息子は、傭兵隊長ホークウッドを訪問し、奇跡的に一命をとりとめた修道女と慎ましく苗を植えるリタイア生活を送っていた彼を引き入れることに成功する。一行はペストに侵された少女の言葉から、とうとう無法者どもの占拠する城を発見したので攻城兵器をつくって突破を試みるが、あと一歩のところで爆破され、散り散りになる。アグネスはというと無法者どものリーダーを好色に誘い、風呂で関係し、取り入ることに成功するが、木に引っかかっていたスティーヴンに鉄の首輪がはめられ、犬のように扱われ、矢の的にされ、銃殺しろと言われたところでは涙ぐんでしまう。しかしそこに、犬の肉片がふってきて、見てみるとホークウッドが投石器でせっせと犬の死肉を浴びせてきている。それがペストにかかった犬の肉だと知れたところで無法者どもは大騒ぎになり、逃げようとするも啓示を得たリーダーの制止によって服と肉を燃やすことで城に留まるが、井戸に入れられた犬の死肉のせいで次々とペストに倒れていき、スティーヴンの理性の力とやってきた王一行の軍勢の前に殺戮されていくことになる。
聖と俗とかき混ぜるような猥雑さと、強烈な暴力描写が、じつにあっけらかんと投げ出されている傑作である。聖職者をはじめ品性の卑しい顔をした俳優ばかりだが、ヒロインを務めるジェニファー・ジェイソン・リーは、その場その場で生き残るために都合よく好色に振る舞ったり、残虐に振る舞ったりしながら、王子にも無法者にも繊細な恋心を捨てられず、一方で本当に残虐で好色な行為を楽しんでいるように見えるバーホーベン的なヒロインだ。バーホーベンの怖いところは、聖俗混ぜ合わせるような猥雑さとか、強烈な暴力描写とかが、日常性をもっているところであり、やはりなにかしらのトラウマを暴露治療しているように思えるところだ。露悪にこだわるのは、それが彼の倫理観だからだ。潔癖な倫理観など存在できるはずもない残虐な現実世界で、倫理観の一貫性など保持できるはずもない混沌のなかで、自己を環境のなかに溶け出させ、即物的に生き残っていくこと。これがバーホーベンの達成できる最悪で最善の自由なのだ。無法者どもはボロ布から、宗教的な赤い服へと、そして清潔な貴族の服へと衣装を着替えていき、多くは死を迎える。王一行が道中で会う人々は、みな貧しそうだが中には高貴な服を着ている者がいて、そういう人間にかぎって舌を裂かれ犯された過去を持っている。