ローベルト・ヴァルザー『タンナー兄弟姉妹』

ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹

ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹


ローベルト・ヴァルザーというスイスのドイツ語作家をわたしはよく知らないのだが、『5歳年少のフランツ・カフカは彼の愛読者の1人であった。』というWikipediaの記述を読んで興味を持ち、『ローベルト・ヴァルザー作品集1』を買ってみたところ、これがとても面白かった(読んでる途中なのだ)。

ドストエフスキーみたいに何ページも続く会話文で、ジーモンという若者がべらべらと喋るんだが、このジーモンという男がくせものである。胡散臭い長台詞で自らを本屋に売り込んだあと、一週間もしたら仕事への不平不満を言いつらって、ほとんど最初からやめる気だったとしか思えないような台詞を残して無職になるという冒頭部分からして相当面白い。

あくせく働くことへの嫌悪感を誰よりも正直に語り、ただ生きていることの幸福を歌い上げるジーモン君のお喋りには、とてもいい気分にさせてもらえる。文章も滑らかでよく続き、いかにも散文を読んでいる心地よさがある。


メモがてら、引用を残したい。

それにしても『休暇』なんて、あんなものいったい何だというのでしょう! あんなものはお笑いです。僕は休暇なんてまっぴら御免、それどころか憎んでいるくらいです。どうか休暇つきの職だけは勘弁してください。そんなものは、僕にとってはこれっぽっちの魅力もないのです。休暇などもらったら僕は死んでしまうでしょう。僕は、言ってみるなら、力尽き倒れてしまうまで、人生と戦い続けたいのです。自由も安逸も味わいたくはありません。『ほら、自由だよ』と犬に骨を投げるように投げ与えられる自由なら、僕は自由を憎みます。

――『ローベルト・ヴァルザー作品集1』16頁

誰か一人が筆記中に卒中で倒れたとする。その人間は五十年間そこで『働いて』いったい何を得たことになるのだろう。五十年間毎日毎日おんなじドアを出入りし、何千回となくおんなじ言い回しを商用文に書き込んで、何着かの背広を取り替えて一年たっても靴がさほど擦り減っていないことを不思議に思う。そして今、どうなったか? これを『生きた』と言えるだろうか? そして何千もの人たちがこうやって生きているんじゃないだろうか? ひょっとして子どもたちこそが生きがい、妻こそが生きる喜びだったのだろうか? そうかもしれない。こんなことについて賢しげに語るのはやめておくことにしよう。まだ若造の僕に、こんな言い方はどうも似合わないような気がする。外はいま春で、僕は窓から飛び出すことだってできるというのに、こうしてずっと手足を動かさないでいるっていうのは、どうにも本当に辛いものだ。

――『ローベルト・ヴァルザー作品集1』34頁


またつづきを読んだら追記する予定。