保坂和志『小説の自由』のメモ(1)〜一覧性のある媒体とない媒体〜

保坂和志『小説の自由』を読んでいたら、以下のような文章に出くわした。ピエール・ブーレーズという現代音楽の作曲家であり指揮者である人の著作『クレーの絵と音楽』からの引用だそうだ。

音楽において、時間の知覚、モジュールの知覚はまったく異なり、絵画の場合よりもはるかに瞬間というものに、それも取り返しのつかない瞬間に基づいている。一枚の絵画が作り出す空間を前にすると、たとえそれがチェス盤の空間のように分割されたものであっても、視覚作用は原則的にまず全体的なものである。それに続く分割された視覚作用は、そのようにして捉えられた全体的な空間をより良く感知する助けとなる。音楽において、事態はまったく逆である。私たちが感知するのは、瞬間であるか、あるいはせいぜい、ある瞬間と別のある瞬間との関係である。

それで、もし拍動が規則的な場合には、次に何が来るかということの見当がつき、もしそうした拍動や、その拍動が私たちをある時点から別のある時点に連れて来たということを意識した場合には、回顧的に、何が起こったかということの見当がつく。最後にいたってようやく全体的な眺望が得られるわけだが、全体的とはいえ、仮想的な眺望である。絵画における全体的な眺望は、現実的な眺望であり、その分割された眺望の方は、それを全体から切り離さざるを得ない以上、ほぼ仮想的な眺望と言える。音楽において、時間という要素、時間のモジュールは即座に感覚に語りかけ、瞬時に知覚される。音楽作品の総体的な再構成は想像的な再構成である。ひとつの音楽作品が現実に見通されることはけっしてなく、その知覚はつねに部分的である。総合は、後になって、仮想上のものとしてしかおこなえない。

ここで述べられているのは、絵画のように一覧的に作品を眺めることのできる芸術と違って、音楽という時間芸術ではそのような一覧性は手に入れられないということである。だから、絵画のようにあちらこちらの細部を見て、そこから全体を立ち上げ、そのようにして立ち上がった全体から再び細部に戻るといったような鑑賞方法をとるができない。

音楽において、そのような全体は「仮想的に」しか立ち上がらない。


音楽に類する芸術として、保坂は小説をあげる。

なるほど確かに、小説は個々の文章も順番にしか要素を出していくことができないし、全体を把握したうえで50ページ目を読んだり、180ページ目を読んだりすることはあまりない。もちろん研究をしようとか、読書会をしようとかいう動機があれば、通読したあと、全体を把握しつつ細部を精読するといったことはあるが、それは最初から最後まで通読する体験とはまったく異なるものだ。

このようなことは映画にも当てはまる。

ひとつひとつのカットについては、映画にも絵画的な一覧性があるかもしれないが、カットひとつあたりの持続する時間はわずかであり、それらが数百と集まって2時間の映画を構成するとなると、細部から全体を立ち上げるのは不可能になってくる。

ある映画を見たり、ある小説を読んだりしたあとに、それについて語ろうとして言葉を尽くしても、自分が経験した鑑賞体験とはまるで異なったものに見えて仕方がない。そういった経験には誰にもあるだろうが、その理由は以上で述べられているとおりだ。

とはいっても、仮想的な全体を完全に手放すことも難しいように思える。例えば、前にこのブログで取り上げたペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』はまさにそのような一覧性が立ち上がらないように仕向けた映画ではあるが、それでも普通、わずかな手掛かりから全体を俯瞰できるような視点を探そうとするのが人間である。

ジャンルや物語の定型といったものが必要とされる理由は、それが多くの人にとってアクセスできる「仮想的な」全体であるからであって、そういったものの手掛かりがないと、人はすぐに映画や小説の散文性にやられてしまう。不安になり、退屈になり、飽きてしまう。

不特定多数をラベリングする言葉を使うのは危ういとは思っているけども、シネフィルと呼ばれる人たちがしばしば細部にこだわり、全体的な視野や、構造分析的なものを拒否するのは、このように瞬間の連続としてしか存在しない、時間芸術としての映画にこだわっているからだろう。

しかし、このように一覧的ではない散文的な時間というのは、いますごい勢いで減少しているように思う。あらゆる時間は組織され、役立てられ、計画されるようになっている。あとのことを考えず、散文的な時間に身を任せて、気ままに本を読むといったようなことができる気がしない。ぼく自身がそうだ。

映画はまだ2時間で終わるから、かなり大丈夫だが、小説はかなり怪しくなっている。短いアニメは見るのが楽なので、最近は『ぼくらベアベアーズ』ばかり見ている。

小説は読むのにも書くのにも、こういった散文的な時間が必要だと思うのだが、当然書く方でも確保することが難しくなっている。かなり辛い時代だ。


小説の自由 (中公文庫)

小説の自由 (中公文庫)

クレーの絵と音楽

クレーの絵と音楽