ブライアン・エヴンソン「年下」


ブライアン・エヴンソン『遁走状態』を読んでいると、下のような文章に出会った。ときどき、このように完全に正しいと思われるような明晰な文章に出会うことがある。もちろん、小説を読む醍醐味はそういうところにあるわけではないが……日々不足しがちな共感というものを自分はこういうところで得ているのだろうと思った。

 二人の母親があるとき評したように、妹はいろんなことを誰よりも強烈に感じとった。そのころまだひどく幼かった妹は、これを情緒的に優れているしるしと考えたが、やがて真相が見えるようになった――そんなのは、自分の人生を生きるのを妨げる重大な欠点でしかないのだ。実際、まず十代に達しやがて二十代に達した彼女は、自分のようにいろんなことを強烈に感じる人間は、病院に入れられているか死んでいるかのどちらかだと悟るに至った。
 この発見は、少なくとも部分的には、彼女の父親が第一の範疇に属し(病院に入れられている)、母親が第二の範疇に属す(自殺死んだ)ことから生じていた。そしてこの二つの事実も姉は、難なく、きわめてあっさり、容赦なく人生を滑っていくなかで、やはりかわしたのだった。実際、自分が避けがたく母の子であり父の子であるという恐ろしい実感を妹がひしひしと強めていくのをよそに、姉は順調に自分の家庭を築いていったのである。何だかまるで、姉は別の家庭で育ったかのように思えた。妹は絶対自分の家族を築けはしない。だがそれはみんなが言うように彼女に責任感がないからではなく、そんなことをしても母や父のような末路に一歩近づくだけだとわかっているからだ。責任感がないのではなく、狂気か死に行きつくのが怖いだけなのだ。
 ブライアン・エヴンソン『遁走状態』柴田元幸訳 7ページ