ニムロッド・アーントル『アーマード 武装地帯』(2009)

 ※ネタバレあり

 ■あらすじとか

 イラクで仲間を救うために正義に背いてしまった者が、今度は正義を全うするために仲間を皆殺しにしてしまうという悲劇です。

 現金輸送車の警備員たちが、ある日4200万ドルもの大金が輸送されることを知ってその現金の強奪を企むものの、途中で犯行を目撃されてしまう。そして、そいつをどう処理すればいいのかという問題を巡って内部対立が生じてしまい、完璧だったはずの計画が破綻するという、ありがちと言えばありがちな筋書きですね。正義を貫こうとする主人公(コロンバス・ショート)と、あくまで目的を達成するために非情な手段を取ろうとする親玉(マット・ディロン)の対立が軸となっていて、『レザボア・ドッグス』的な疑心暗鬼の室内劇が繰り広げられるわけです。

 とはいうものの、そういったいかにもハリウッド映画の小品的なたたずまいをしていながら、ことある毎にイラク戦争の記憶が撒き散らされ、廃工場という閉鎖空間の中で文字通りの悪夢が展開されるというゼロ年代アメリカ映画らしい病的な代物に仕上がっているのが本作の面白いところでしょう。やっぱり、こういうものは拾い上げなきゃ、と思いまして、この記事を書いてみることにしました。まあとても語りやすい作品でもあるので、楽がしたいっていう気持ちもあるわけですけどね。

 ■イラク戦争の記憶

 さて、では具体的にどのようなイラクの記憶が参照されているのでしょうか。

 まず目に付くのは、犯行現場を目撃した哀れな警察官の致命傷を必死に手当てする主人公の振る舞いですね。時系列的にも最初ですし。この負傷した警察官の応急処置をするところは、こういった犯罪映画にあっては珍しく専門的で、なんというか戦場での負傷兵とのやりとりにとても似ています。まあ、主人公はイラク帰還兵なので、そういう専門的な応急処置能力があってもおかしくはないでしょうし、だから流れとしてはまったく自然であって、最初はちょっと流して見てしまうのですが、後から思い出したらこれもそうだよなあと。彼の脳内ではイラク戦争で死にゆく戦友をむなしく手当する時の地獄的な記憶が再生されているのだろうと思うと、なんとも言えないんですよね。

 次に目につくのは、敵側の一員であるアマウリー・ノラスコが、内部から出た裏切り者を暗がりに誘い込んで、刺殺してしまったあとの場面ですね。ここは長回しで撮られていて、暗がりに入った二人が逆光でシルエットになった瞬間にナイフで突き刺すというなんとも嫌な場面になってます。でそこでアマウリー・ノラスコは水溜りにナイフを突っ込んで血を洗い流すわけなんですが、ここでもまたイラク戦争におけるPTSDの記憶が画面に立ち込めてしょうがないのです。そしてその危惧が間違いでなかったことを示すかのように、その後アマウリー・ノラスコは、信仰と己の行為との間の矛盾に耐えられなくなって投身自殺をしてしまいます。

 さらには、敵側の親玉であるマット・ディロンの顛末にあたってもイラク戦争の記憶はこれでもかとリフレインされます。終盤、彼は主人公の手によって、顔に大きな火傷を負ってしまうのですが、これがダブルミーニングになっています。この火傷はイラク戦争の記憶云々の前にまず、文字通りマット・ディロンの化けの皮がはがれたということを示してもいるわけです。それはつまり、穏当な言葉を投げかけて皆を強盗に誘ったディロンの人非人としての側面が終盤に行くにつれて露わにされていき、とうとう本当に化けの皮をはがされてしまう、ということなんですが。さらに、もちろんその火傷はイラク戦争で爆弾テロにあった兵士を見たであろう主人公の地獄的な記憶が禍々しくも再生されていると。

 焼けただれた顔をさらに歪め、鬼のような表情でトラックを操るマット・ディロンはそれ自体もはや悪夢的なわけですが、まあ悪役の常ということで最後には主人公に勝てずに車を転倒させられてしまいます。そして、主人公の前で死にゆくマット・ディロンを収めた画面に砂が巻き上がるんですよね。はい、これはもうイラク戦争の砂漠ですよね。IEDに車両ごと吹っ飛ばされて、砂の巻き上がる中で死にゆく兵士の記憶がまざまざと想像できます。砂が巻き上がるという光景自体がなんだか、過去のトラウマとの対面を意味しているように思えるのですが、それは多分僕が『チェンジリング』を思い出しているからですね、はい。(詳しくはこの記事を参照して下さい→ http://d.hatena.ne.jp/clementiae/20140528/1401308999

 題材はもちろん、登場人物のほとんどが死んでしまうという大変バイオレントな展開もへヴィーなのですが、ヴィジュアル面においてもこれは中々重量級です。暗いところはくっきり暗く、明るいところはくっきり明るい、コントラストの強烈な陰影であるとか、光の反射を多用する画面作りであるとか、照明について拘っている様子があります。とりわけ、現金輸送車の外装はてらてらとよく光を反射しています。また、サスペンスを持続させる長回しも四回ほど使っていて、これもまたこの映画のいやーな感じに繋がっています。

 というわけで、そういう脳内の地獄が目の前で展開される類の映画が好きだ、見たい、という方や、ゼロ年代アメリカ映画のトラウマティックに病的なところを色濃く反映した作品を探しているという方はどうぞご覧になって下さい。