オリヴァー・ヒルシュピーゲル『ヒトラー暗殺、13分の誤算』
1939年11月8日にヒトラー暗殺未遂事件を起こしたゲオルク・エルザーは、ヒトラーが毎年恒例の演説をなぜかいつもより13分早く切り上げたために失敗し、捕えられてしまう。ナチスSS隊員であるアルトゥール・ネーベとハインリヒ・ミュラーは背後関係を洗うためにエルザーを尋問するが、エルザーは鞭に打たれ、爪と肉のあいだに焼いた針を突き刺されても口を割らないでいる。一方で、そのような1939年の風景とはまた別に、恐らくはエルザーの回想という体で1932年のドイツの風景が挟まれ、平和主義者の音楽家であったエルザーがいかにしてヒトラー暗殺を実行するまでに至ったのかが明かされる。当時のドイツには物資がなく、人々は海辺で歌い、踊り、酒場ではしゃいで牧歌的に人生を楽しんでいるが、そこには共産主義者とナチスの姿があり、両者はいがみあっている。そうこうしているうちに共産主義者はひっとらえられて強制労働させられ、ナチスはぐんぐんと勢いを増して政権与党となり、地域の運動会を映画にしたり、ユダヤ人と暮らしている人物を晒し者にしたりといった形でじわじわとその手を浸透させていき、あまりにも物資のない当時のドイツにラジオや自動車を約束するのであった。ジャズに影響されたと思しき音楽家エルザーはあまり品行方正な人間ではなかったらしく、亭主のある女とのロマンスを楽しみつつ、途中で家を移して家具職人となりつつも、共産主義者の友人の変わり果てた姿を見るなどしてこれは流石にまずいと思ったのか独学で爆破装置の研究に凝りはじめ、そうしているうちにバレてしまった不倫相手の女とも別れ、ただ一人ヒトラー暗殺への道へと突き進んでいく。そういう回想と交互にザッピングされながら語られていた1939年の風景に戻ると、その不倫相手の女を持ち出されてとうとう観念したエルザーが犯行内容を自白していたのだが、単独犯であるというエルザーの自白を、ヒトラーやSS隊員は信じず、執拗な追及が続いていた。しかし、暗殺未遂に使われた高度な爆破装置のメカニズムも一人で説明してしまえるエルザーの自白を否定することはいよいよ難しくなり、アルトゥール・ネーベはどこか彼に共感した素振りを見せる。そして時間は跳び、暗殺計画に参加したということでネーベはピアノ線による絞首刑を言い渡され、殺されることとなり、ほどなくしてエルザーも戦時のごたごたにあって処刑されることとなるのだった。
あの『ヒトラー 〜最期の12日間〜』の監督によるナチものふたたび、というわけだが前作と異なり、扱っている題材はかなりマニアックと言えるだろう。ヒトラー暗殺は数あれど、ドイツが追い詰められた終戦間際ではなく、かなり早い段階に単独犯で暗殺を企図したとされているエルザーが題材であり、ナチスがじわじわと支持を獲得していく、いわばあまり映画で描かれることの少ない時代が再現されている。単独犯というところは、群衆のなかで一人だけヒトラーに敬礼をしないという絵面で強調されている。画面のレベルは高く、起伏の激しいドイツの地形は画面に奥行きをつくり、不自然に明るい部分と暗い部分をつくる照明のコントラストは見応えがある。海辺での歌や踊りは官能的であり、夜の路上で見つめあう男女のロマンスはお見事。一方で、物資の少ない当時のドイツの寒々しさはえげつなくどこかカミンスキーのカメラを思い出した。とくにアルトゥール・ネーベがピアノ線で絞首刑に処されるところは出色で、もう死んだだろうと思って忘れたころにぴくぴくと痙攣するネーベの身体を捉えるショットは薄皮をはがすような硬質な寒々しさがあった。ヒルシュピーゲル監督のナチものはやはりいい。