ジョセフ・H・ルイス『私の名前はジュリア・ロス』

私の名前はジュリア・ロス

MY NAME IS JULIA ROSS

1945年 アメリカ 65分

監督:ジョセフ・H・ルイス

 

 

賃を滞納する下宿人ジュリア・ロスは、あるとき職業紹介所で待遇のいい秘書の求人が出ていることを発見する。面接を受けると話はとんとん拍子に進み、その日のうちに荷物を持って家に来るように言われそのとおりにする。目を覚ましたジュリア・ロスが気づいたのは、自分が昨晩とはまったく違う場所にいること。そしてイニシャルの違う道具の数々に囲まれていること。自分をまったく知らない名前で呼んでくる看護婦が朝食を運んできたこと。そしてなにより、自分が療養という名目で監禁されていることに気づいたが、「私はジュリア・ロス」と真実を口にする彼女の言葉は誰にも信じて貰えない。

 

ッチコック的なあらすじだが、主観的な悪夢という趣向にはならない。ここはDVDの解説に書かれている通りである。実際、現実が変容する感覚を演出したいのなら、ジュリア・ロスが眠った次の場面では、起きて監禁されたことに気づくシーンを入れる必要があるんじゃないだろうか。彼女がいなくなったことに気づいて、捜索を始める恋人の視点を挟む感覚からして理性的だと思った。そのあとも映画は、脱出しようとするジュリア・ロスと、逃がさないように画策する母子の攻防をあくまでサスペンスとして、ダイナミックに描いていく。視点がジュリア・ロスに固定されているわけではないため、主観的な悪夢にはなりようがない。といっても、視覚的に現実が歪んでいるような感覚がないかといわれれば、そうでもなく、手前と奥に人物を配置したレイアウトが頻出して、そのたびに目が強制的に掴まれるような面白さがある。冒頭オープニングクレジットが終わったあとの最初のショットでは、雨の中を歩く女性の後ろ姿が映される。画面の縁は曇っているが、これも普通は失敗扱いするようなカットのようで、ちょっとびっくりする。画面手前にいた彼女が、奥にある家のドアまで進むところがノーカットで撮られている。そのあともドアを開いた彼女が室内に入り、廊下を進んでいき、下宿の世話人にあれこれ愚痴を言われながら手紙を受け取るあたりまでノーカット長回し。『拳銃魔』のジョセフ・H・ルイスらしい過激さのあるオープニングだ。しかも、このカットの終わりでようやくジュリア・ロスの顔がわかる。ドアを開いた瞬間、縦に長い廊下の奥に世話人がかがんでいる姿が入って来るが、ここもサプライズになっている(こういう、一見普通に人の顔やら背中やらを撮っていると思わせておいて、後出しで奥に人を出すことでレイアウトを作るショットが後にもある)。また、画面の手前に視界をさえぎるような物を置いたカットが多くて、これもジョセフ・H・ルイスのトレードマークらしい。不本意なキスを迫られるジュリア・ロスの顔と、その下半分をさえぎるようにぼかされた男の背中が覆うショットなんかがいかにもそうだ。監禁されるジュリア・ロスを、外から窓越しに撮るカットが何度もあって、これも画面をさえぎるもののひとつでしょう。上手いなーと思ったのは、村の人が館を訪問しにきたとき、これで助けを呼べると考えたジュリア・ロスの言葉が全然信じて貰えなかった場面。開きっぱなしになったドアが画面の3分の2くらいを占めていて、残り3分の1にジュリア・ロスがぴったりはめこまれるように構図に収まるカットがある。疎外された彼女をワンカットで説明する見事なショットだった。ちなみに、本作は興業的にも批評的にもいい結果を残し、会社からの覚えもいい幸福な映画だったようだ。DVDの解説によれば、本作をもってA級映画の監督への昇進を打診されたらしいが、ルイスはこれを断ったとか。

 

 

私の名前はジュリア・ロス [DVD]

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