バー・スティアーズ『高慢と偏見とゾンビ』

 

高慢と偏見とゾンビ(字幕版)
 

 

まあタイトルの通りといえば、タイトルの通りなんだけど。
 
人の脳を食えば食うほどよりゾンビらしくなっていき、それを我慢すれば人間性を保持できるという比較的珍しいギミックが採用されている。そうして人間性の残ったゾンビは意思の疎通もできるし、なんなら人間社会にまぎれて生きることもできる、ということが冒頭で示される。この、社会性のあるゾンビというアイデアと、18世紀イギリスという舞台の組み合わせがよくて、思ったよりもずっと楽しめた。
 
思うに、身分制社会においては、ゾンビという題材はそのポテンシャルをさらに発揮できるのではないか。なぜなら、ゾンビは平等だからだ。貴族だろうが、平民だろうが、ゾンビはゾンビ。この身も蓋もない事実が、そもそもはじめから基本的に身も蓋もない現代社会を舞台にするよりも、効いてくるというわけだ。そして、人間社会にまぎれたり、罠を張ったり、宗教でまとまって人を食うことを我慢しているゾンビたちは、途中から民主革命のメタファーのようにも見えてくる。
 
もちろん、ベースになっているのは『高慢と偏見』なので、そういった背景はあるものの終盤はメロドラマとしてまとまっていくのが残念だった。見当違いの期待なのかもしれないけど、この映画を見にくるのは18世紀西欧を舞台にした恋愛ドラマを好む客ではなく、やはりゾンビ映画好きなのだと思う。なので、『高慢と偏見』の大筋を変えずにさりげなくゾンビを挿入していくという滑稽味が主眼に置かれることにはなるものの、原作とのズレや違和感が笑いの源泉なので、結局のところストーリー自体は『高慢と偏見』にならざるをえない……ここに企画の限界があるような気がする。もっとSF的な展開をして欲しかったが。
 
ただ、中国武術と日本武術が導入されていて、淑女がゾンビを殴り蹴り、剣で刺し、銃でぶっ飛ばすというボンクラぶりはいいスパイスになっていた。
 
衣装と美術に手を抜くわけにはいかない題材なので、その点はそれなりに見応えがある。どこまでが事後の加工なのかはわからないし、場面によってムラがあるものの、照明を頑張っているところもあり、モブシーンでは奥にいる人間にも芝居がつけられていて、女性を美しく撮ろうとしている。人工的で嘘っぽい、というかCGっぽい18世紀は、近年の映画だと『シンデレラ』を思い出した。
 
アクションシーンは、状況がまったくわからないものから、アップとロングをつなぐことで一応の把握ができるものまでムラがあり、スローモーションで撮ったり、殺されるゾンビの主観を使ったりして、スタイリッシュさを出そうとしているものの、タイトルから想像されるよりは大人しく、これならもっとはしゃいでもいいんじゃないかと思った。
 
原作は未読だし、繰り返しにはなるけど、有名作のパロディという観点から離れるとむしろ発展性があるのではないだろうか。