オリヴィエ・アサイヤス『夏時間の庭』

夏時間の庭
L'Heure d'été
2008年 フランス 102分
監督:オリヴィエ・アサイヤス

史に名を遺す芸術家であるポール・ベルティエが生前使っていた家。そこに住む母の誕生日を祝うために、既に中年にさしかかっている子供たちが帰ってくる場面からこの映画は始まる。牧歌的な風景だが、母は死後のことを考え、家にある貴重な調度品・芸術作品の数々を手放す手続きについてしきりに気にしている。そしてその一年後、母は死に、遺された兄弟姉妹たちはその家をどうするか、その家財をどうするかを巡って、様々な葛藤を経ることになる。経済学者である長男フレデリックは一番の執着を見せて一つも売却しないと言い張るが徐々に折れていき、デザイナーで世界中を飛び回っている長女アドリエンヌと、中国で仕事をしている次男ジェレミーはもはやフランスの家を必要としていない。彼らの子供たち(つまり母の孫たち)だけは、憂鬱から無縁で、無邪気に遊びまわっているように見える。
大なるヨーロッパの歴史としての、あるいは肉親との思い出としての、またあるいは無用の長物としての芸術品の行方についての映画である。同じ物に対して、異なる光が当たっていくのが醍醐味だ。ヨーロッパの歴史として語られる家財は、集団的な記憶でありながらも、もはや一部の人間だけが共有するものでしかなく、最終的に美術館という公共空間にあって管理されることになる。いかにも観光客らしい人々がその前をぞろぞろと通り過ぎていくところの、さっぱりとした残酷さはアサイヤスらしい。そこに、個人的な愛着や記憶としての光が当てられていくが、エロイーズという名の老いたお手伝いさんがそれらを無造作に扱う様や、「これは私の」と言って長女アドリエンヌが茶器を持っていく様は、やや感動的であり、歴史としてヨーロッパを断片的に切り取って自分のものにしていく個人の感傷が見え隠れする。最後に、その家で不良な少年少女らが、歴史に対する畏敬もなにもなくパーティの準備をしている場面が出てきて、その中には長男フレデリックの娘の姿もある。アトリエでサッカーボールを蹴りあい、流行曲を流し、ハッパを吸い、酒を飲む。入り組んだ大きな家を映す以上、映画全体でいくつも移動撮影が出てくるが、ここでの長い移動撮影はちょっとヌーヴェルヴァーグな匂いのする爽やかなもので、アサイヤスはヨーロッパの歴史よりも、同時代的な若者文化の方にシンパシーのある人なのだと思った(だからこそこの世代の飄々とした残酷さを出せるのだろう)。ノイジーなロックミュージックを使うのがトレードマークでもあることだし。また、子供たちがかつて壊したドガの小像が修復される様子よりも、あっけらかんとしていた孫娘がこの家との記憶に思わず流す涙がクローズアップされる部分が感傷的になっていて、アサイヤスの優しさや爽やかさの覗く一作でもある。