ザック・スナイダー『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生
Batman v Superman: Dawn of Justice
2016年 アメリカ 151分
監督:ザック・スナイダー
スーパーマンが前作『マン・オヴ・スティール』で既に描かれたように付帯的被害をものともせずにゾッド将軍と殴り合っているその最中、足元ではブルース・ウェインがビルの倒壊や逃げ行く市民をものともせずに砂埃のなかへと飛び込んでいき、懸命な人助けをしていたものの、足を挟まれた社員は両足を失ってしまう。一方でレックス・ルーサーという大企業の若きトップがなにやら悪だくみをしており、クリプトナイトを手に入れようとしたり、政府要人に近づいたりしている。スーパーマンは恋人であるロイス・レインを助けに砂漠の中心に降り立って、悪党を成敗し恋人とキスをするが、どうやら政府絡みの陰謀にはめられたようで、付帯的被害を言い立てられ、スーパーマンの像には落書きもされるので、記者としてのクラーク・ケントは新聞が抗議をしなければならないと主張するも、現実主義者の編集長には「今は1938年ではないんだ」とすげなく却下される。ブルース・ウェインのほうでもレックス・ルーサーに探りを入れているようで、招待されたパーティを抜け出してデータを盗み出したりもするが、それに茶々を入れてきた謎の美女とひと悶着あり、そうしている間にも着実にスーパーマンは偉業を重ねていくが、「偽りの神」だという批判も過熱してく。レックス・ルーサーの秘密データを手に入れたブルース・ウェインはその解析中に寝落ちしてしまい、スーパーマンに支配された未来と思しき予知夢のようなものを見るし、未来の誰かがブルース・ウェインに凶事を伝えようとしたらしいが、なにぶん早すぎたためにブルース・ウェインは理解できないでいるし、それよりも謎の美女の正体にこそ驚いている。また、聴聞会に呼び出されたスーパーマンはレックス・ルーサーの罠にはまって爆弾テロにあい一人生き延び、さらに批判を浴び、そのイライラをバットマンにぶつけようとするも編集長に阻まれるし、バットマンはバットマンでクリプトナイトを奪取せんとしたところでスーパーマンに邪魔をされるのでスーパーマンに「お前の血も赤いのか」などと訊いてしまう。ロイス・レインや両親はひたすらにクラーク・ケントを正当化してはくれるものの、とうとうその拙いやり方を指導してくれる先達は現れず、その役割を担うはずのバットマンはレックス・ルーサーの手のひらで踊ってひたすらにスーパーマンへの憎しみを大きくしており、奪取したクリプトナイトを研磨したり、ひたすらに身体を鍛えたりしている。とうとうレックス・ルーサーが用意した舞台で戦う二人だが、どうやら二人とも母親の名前が一緒だったという偶然から不毛な殺し合いを脱出し、偽りの対立であったことが判明したので、二人してレックス・ルーサーを倒そうとするが相手も相手でゾッド将軍の死体を使って宇宙船を操り、最強の敵ドゥームズデイを繰り出してくるのだった。
構想に対して手が動いていない典型的な頭でっかちの作品であり、善やら悪やらといった図式は再三強調されるのだが、肝心の運動が貧弱なので、抽象と具象がうまく結びつかないまま終わる。したがって終始動きつづけるレックス・ルーサーに対して、20年のキャリアがあって老練なはずのバットマンはやや遅れ気味であり、若く拙いスーパーマンに至ってはなすすべもない。そのせいでプロットがあまりに遅く、ようやく本題らしきものが始まるのは随分と後の方になり、それまではひたすらに伏線がはられたり、仰々しいカットばかりが積み重なっていく。本作のスーパーマンとバットマンの対立はほとんどすべてレックス・ルーサーに仕組まれた偽りのものであり、そのような背景があっては盛り上がりようもないし、だからこそ両者の母親がたまたま同じ名前だったという偶然の一致によってバットマンは心理的に動揺して必殺の一撃は止まり、レックス・ルーサーの陰謀を告げるロイス・レインの言葉であっけなく対立は解消されてしまう。バットマンは20年ものキャリアがあってかつ不殺を貫いてきた先輩ヒーローだというのに、拙いやり方で批判を浴び続けるスーパーマンを導こうとは微塵も思わず、レックス・ルーサーの手のひらで踊ってあまつさえスーパーマンを殺すことまで覚悟してしまうのだが、描写を見る分には不殺は徹底していないようで、これはよく知られているバットマンではないのかもしれない。バットマンとスーパーマンというキャラは本来の持ち味を生かせないままレックス・ルーサーの陰謀の意のままにされるのだが、思うに箱庭を意のままにできる悪役とは製作者に最も近い立ち位置にある存在であり、要するにレックス・ルーサーにバットマンとスーパーマンがいいようにされるのは、両者が製作者にとって操作しやすい対象とされているということである。運動やドラマを造形してくれないし、図式が説明的な絵やセリフで協調されるばかりである。救うべき市民はいつしか後退していき、超人どもが無人の荒野で延々と殴り合っているのだが、これをヒーロー映画と自称するらしい。駄作。ばかばかしい。
唯一、ベン・アフレックのブルース・ウェインには好感を持った。ごつい体躯に冷たい目をしており、基本的に体温が低そうなところはクリスチャン・ベールの線の細いブルース・ウェインにはなかった魅力であり、より老練なバットマンらしい。ということでベン・アフレック監督・主演『バットマン:ダークナイト・リターンズ』の公開を夢想しておこう。