M・ナイト・シャマラン『ヴィジット』
将来の夢を映画監督とする姉と、ラッパーとする弟は、豪華客船に乗って人生の夏休みを満喫しにいく母の代わりに姉弟の面倒をみることになった祖父母のもとへとやってくる。長らく母と音信不通だった祖父母は二人を温かく迎え入れ、カメラを回し続ける姉のことも許容してくれる。しかし、次第に祖父母に奇行が目立ちはじめ、祖母は床下での追いかけっこに何故だか勝手に参戦してくるし、下着は履いておらず、深夜は徘徊している。祖父は小屋に糞を垂れたオムツをため込んでおり、ありもしない仮装パーティに出ようとする。それらを問いただすと、祖父は祖母の奇行についてこっそりと説明してくれるし、祖母は祖父の奇行について解説をしてくれるし、テレビ電話で繋がった母も「歳だからボケてるのよ」と合理的な説明をしてくれるのでひとまず安心するが、理知的な姉が状況に適応し、祖母から疎遠になった母親を許す言葉を引き出せないか画策するのに対して、やんちゃな弟は何かが変だという疑惑に固執する。
POVという手法も今更であり、冒頭はそれこそPOV特有のくだらないシーンが続くわけだが、次第にシャマラン的な細部が増えていき、画面もなんだかPOVならではの美学を追及しているようで、通常の映画とは違って被写体とカメラの距離が異常であることが効果的に見えてくる。そうしているうちにどんでん返しが起こるが、シャマランのどの作品もそうであるように、どんでん返しそのものが目的ではない。世界がひっくり返ったことで自らのオリジンに起因する物語の薄っぺらな虚構性が暴かれるものの、一方でひっくり返ったあとの世界が真実かと言えばそうでもなく、ただ掴みどころがない。しかし、それでも何かエモーショナルなものが残るのである。要素要素は平凡なのだが、それぞれ微妙にズレていて異様なバランスが保たれている。ロジックが見えないし、才能がないと撮れないだろうと思わされる。日常、美しさ、キモさ、狂気、恐怖、ベタなメロドラマなどが渾然一体になって油膜のように揺れており、怖いと言えば怖いが、それ以上に意味が分からないし、かといって笑えるわけでもなく、ただ茫然となる。傑作である。