シン・ゴジラ覚書


・『シン・ゴジラ』2回目を見に行った。

・2度見て思うのは、これは構造的な映画だということだ。ゴジラの生物としての体組織VS日本の行政組織という図式になっていて、ゴジラが形態を変えるように、行政組織も形態を変える。それを象徴するのがスクラップアンドビルドという言葉だろう。前半の自衛隊による軍事作戦と、後半のヤシオリ作戦では行政組織が異なるので、意思決定のされ方も異なるし、個々のカットを編集した結果として出てくるモンタージュにも影響は出ていると思われる。

・前半の意思決定は日本式の縦割り行政で、縦に伸びていく。あまりにも多い会議シーンは、官僚機構の構造を示すために段取り的にカットを重ねられるし(そして繰り返しはギャグになる)、早いカッティングもそれ自体が目的ではなく、官僚機構という構造を示すための膨大なカットを消化するためにある。

・後半の意思決定は、横に発散していく。それが官民の協力体制であり、外国への支援要請であり、フランスへ首を垂れる総理の姿に重なる。

・構造的な映画なので、政治家は政治家の顔をしていなくてもいいし、それらしい顔がなくてもいい。なぜならその顔は交換可能なものであって、個は意味を成さないからだ。したがって、レイアウトを優先し、俳優という生ものを撮っている感覚は犠牲にされる。ひとつのカットでひとつの出来事しか描かないのも、個々のカットの出来よりも、それを編集によって組織することが重要だからだろう。パーツとしての大事さ。

・復讐という個人的な感情は、「仇をとるぞ」と言っていたアメリカ空軍の連中やマキ教授に与えられることで、映画の周辺部に置かれる。国民の直接的な死はほとんど描かれないため、本作のドラマにおいては復讐はエモーションとして生じない。あくまでシステムとシステムが対峙するし、原発事故をなぞるように描かれるゴジラとの対決は最終的にヤシオリ作戦という(どちらかと言えば土木工事に近い)段取りに託されるのだ。

・『シン・ゴジラ』を見てなにか倫理的・政治的なことを言いたくなるのは、一見してこうした構成が個に対するシステムを称揚しているように思えるからだろう。個人主義を是とする21世紀には合わないのかもしれないが、しかしSFの冷たさというのは、こうしたミクロな事象に対するマクロ目線からの相対化であると思う。

・最終的に明らかになるゴジラの体組織における微生物の重要性であったり、ラストカットの尻尾の先にいる小さいヒト型ゴジラ(レギオンみたい)の存在であったりと、なんだか群体生物としてのゴジラが準備されている節がある。さらなる形態変化を遂げるのだろうか。

・ファーストコンタクトものとして、『ブラインドサイト』みたいな、ゴジラとのコミュニケーションを試みるくっそハードな『シン・ゴジラ2』とかを妄想します。本作自体もいちおう、ファーストコンタクトものだしね。

・米国産ゴジラと比べると、本作における怪獣の出し方は違和感を強烈に意識したものになっていた。

・日常や現実を破壊するといっても、犯罪者とかと違って怪獣はまず風景の中にいたら違和感があるわけで、だから特撮が発達したわけで、だから怪獣映画における日常の破壊は視覚的なものなのだ。建物とか風景それ自体とか。

庵野秀明が、「虚構対現実」というキャッチコピーをつけていたように、本作のゴジラは生物らしさを剥奪され、画面となじまないように意識されていた。だから白昼堂々と現れなければならず、ロングショットも入れないといけないのだ(怪獣プロレスだとまた別の理由から被写体との距離が重要になる)。

・そもそも特撮のミニチュアはどれだけ精巧につくってもどこかスケール感が歪んでいるわけで、だから違和感があるんだけど、一方で本物そっくりに見えることもある。その揺れ・ブレが面白いのだ。

・そして、その精巧につくりあげられたミニチュアという美術を、一回きりやり直しなしの破壊によって粉々にする。その破壊は作り手によっても完全にコントロールされないカオスで、ここが特撮の映画的美点だと考えている(シン・ゴジラではここはあまり目立たなかった)。

・『巨神兵東京に現る』ではその点を利用し、実写・特撮・アニメといった各メディアの質感を巧みに操作し、観客の意識するリアリティを誘導したり、ハズしたりして、とても高度に視覚的な遊戯をおこなっていた。そしてあの容赦ない破壊! 予測不可能な画面!

・今回はゴジラをフルCGで造形しつつ、着ぐるみっぽい動きを再現し、ミニチュアも使いつつ、実写もはめ込むということで巨神兵と同じように、異なる質感が一緒になる感じがとても面白かった。とはいえ、ゴジラ第二形態が蒲田にやってくるところは、しばらくCGっぽさが強くてかなりチープな違和感が出ている。ここはハリウッド映画に慣れているときついだろう。

・でも自動車をはじき飛ばしながら前進していくところとか、マンションに圧し掛かって倒すところとかはCGながら物質っぽさも出ていて面白い。品川で直立してからは、しばらくCGが安っぽくなくて、ああいう物体が本当にいる感触があってその違和感の塩梅がとても面白かった。鎌倉以降のゴジラだとなんといっても熱戦を吐くところと、ヤシオリ作戦のところですね。