クレール・ドゥニ『ハイ・ライフ』

本当に久しぶりにシネコンではなくミニシアターに行ったけど、これは面白くなくて、途中退場してしまった。


クレール・ドゥニの映画は『ガーゴイル』しか見ていない。そちらは「セックスをすると食人衝動におそわれる病」が存在する社会を舞台にしたドラマで、ヴィンセント・ギャロが出ていた。


セックスのときに食人をするといえば映画史的に『キャット・ピープル』が元ネタなのだろう。『キャット・ピープル』でも人を食うのは女性だし、『ガーゴイル』でも女性だ。そして口の大きなベアトリス・ダルという女優が、まさにその口の大きさによってキャスティングされていたことが明らかな映画だった。


一方、『ハイ・ライフ』のストーリーは、終身刑・死刑を宣告された囚人たちが、ある実験のために宇宙船のクルーとなり、ブラックホールを目指すというものだ。宇宙船には囚人たちだけでなく、その実験を管理する科学者兼医者が乗船していて、これをジュリエット・ビノシュが演じている。囚人の中で目立つのはロバート・パティンソンとミア・ゴスという面々。


ブラックホール、父娘、とくるので、もしかしてこれはクレール・ドゥニ版『インターステラー』なのだろうかと思った。


この映画は、宇宙船で船外活動をする宇宙飛行士(ロバート・パティンソン)が、工具で修理をしながら、船内にいるであろう赤ん坊と通信機器越しに音声のみで会話する場面からはじまる。


そこからしばらく子供をあやしながら日々のルーチンをこなしていく宇宙飛行士の孤独な生活ぶりが描写されていき、かつて死んだと思しきクルーたちを船外に捨てる場面でタイトルバックとなり、以後回想というかたちでまだ全員が生きていた時の話がはじまる。


宇宙空間を落ちていく宇宙飛行士たちにタイトルがかぶさる部分はかっこいいが、回想がはじまるまでの孤独な生活パートが長い。説明だとしたら長過ぎるし、宇宙飛行士の孤独ということなら見飽きている。そこに赤ん坊の世話が加わっていることにオリジナリティがあるのかもしれないけど、それだけでは興味が持続しない。


囚人を使った実験の内容は、宇宙空間での出産・子供の育成ということで、男の囚人は精液を回収され、女の囚人は妊娠させられる。加えて、お約束というべきかジュリエット・ビノシュには子供関係のトラウマが設定されていて、「わたしは魔女」とまで言ってしまう。


こういった性的なアイデアやプロットが展開された結果として出てくるものが、自分には面白いと思えなかった。


妊娠を拒絶する反抗的な女囚や、そんな彼女を強姦しようとするクルー、そして実験を管理する「魔女」がただ一人オナニーマシンを使わないロバート・パティンソンに執着するところとか、父娘の近親相姦的な緊張とか、ありきたりの展開をストーリーテリングを少し複雑にして思わせぶりに語っているだけにしか見えなかった。犬が出てきたところでうんざりして途中退出した。


低予算ということもあり、宇宙空間の表現はセットや照明を上手く使うしかない。そういう意味ですこし演劇的だ(わたしたちが脳内で補わないと語られている通りには見えない)。推進によって擬似的な重力が発生しているという説明も作中でなされるが、だとしても船外活動中にレンチを落とすとそのまま下に落ちていくのはおかしいだろう。


そう、無重力の表現が難しいので基本的にこの映画の宇宙では、物体は下に落ちていくのである。回想と思しき場面で一瞬、ミア・ゴスが宇宙服を着たまま無重力に浮かんでいるカットがあって、あれが数少ない無重力演出だろうか。あれはとてもいいカットだった。回想ともまた違った、断片的な記憶のきらめきだ。


医者が薬を出して囚人を管理しているというところ含め、舞台装置としては精神病院にかなり近いので、仮にジョン・カーペンターが監督したら『ザ・ウォード』のような脱獄ものになるだろう、と思いながら映画館を出た。


ミア・ゴスはよかった。彼女が壁にガラス片で文字を書いているところとか、それをロバート・パティンソンが止めようとしてもみくちゃになり出血するところとか、そういった部分にはアクション映画がはじまるという期待感があった。