ショーン・ベイカー『フロリダ・プロジェクト』

 

 

 

演出にロジックがあってなかなか楽しんだ。特に前半はアイデアが豊富で面白い。


まず冒頭。掴みだから気合がはいっている。


激しく体を動かして走ってくる子供が叫び、ピンク色の壁のまえにじっと座っている二人の子供がそれに答える。動と静。対比の大きなショットを交互に3回、まったく同じやりとりを繰り返すということをやったあと、一体なにが起きるんだ!?と思っていたら、「新しいやつが来たぞ!」というセリフでしめくくられて、座っていた二人がとたんに走り出していく。あとにはピンク色の壁が残るだけで、遅れてクレジットが出る。


散々期待させたあとに、何もない壁だけを映すという知的な外しをやるので、掴みとしては十分。「おーっ」と思って映画に入ることができた。


冒頭でも見られた、同じ構図やモチーフを連続3回以上繰り返すという手法は他のシーンにも使われていて、これはお金をかけずに映画に人工性を持ち込む方法としては便利だなと思った。


みんなが指摘するように、停電になったところで建物のロングショットに切り替わり、不満を言うためにぞろぞろと住人が出てくるところをただ映しているシーンは笑える。


回りこむような立体的な移動撮影もいくつか使われている。


火事が起きてから以降は、前半の幸福なムードを破壊するような出来事が、はっきりとではなく背景でほのめかされるように進行していく。これはそういった出来事が視聴者だけではなく、子供たちにも隠されていることを示しているのだとは思うのだが、正直退屈だった。


作劇としては理解できるのだが、それでも分かりきっていることを延々とほのめかされると飽きてくるのだ(明らかな「謎」がそこにある場合は別だが)。


観客に親切でくどくど説明したがる映画とも思えないのに、どうしてこんなにじれったい手法を使うのだろうと思っていたら、最後の最後でこれまで一切禁止していた幸福な魔法が使われて、ようやくカタルシスが訪れる。そうだったのか、と思った。


しかも、ラストではこれまで『フロリダ・プロジェクト』において不可視の背景として存在していた「とある場所」が堂々と出てくるので、色々な意味でカタルシスがある。


映画の全体を通しての映像のスタイルとしても破綻を来たすものだろうし、子供の取る行動としてはやや「大人っぽすぎる」ので、悪童を悪童として扱ってきたこれまでのスタイルからも飛躍がある。そしてあれだけ長い溜めを作り、長時間のストレスを観客に与えておきながら、魔法がかかるシーンはかなり短く取っている。


これらの仕掛けはどれも映画を壊しかねない要素を含んでいるし、観客に見放される危険を伴っているので、非常に勇気のいることだろうと思った。映画そのものにはやや不満点が残るところだけれど、その勇気に自分はすこし感動させられた。